① 三人のレンガ職人から
考える!勉強する理由
お話は旅人が、3人のレンガ職人に、それぞれ「何をしているのか?」と問う場面がポイントです。
3人の職人はそれぞれ、こう答えます。
同じ作業をしていても、とらえ方によって幸福感には雲泥の差があることを示すお話です。
転じて、子どもたちにとって勉強することは何になるのでしょう?
勉強をしている3人の子どもに、ナゼ勉強するのかを質問してみると、それぞれ、こう答えることでしょう。
さて、この3人の中で一番学力が伸びる子は誰だと思いますか?
まず、先のレンガ職人の話をA・B・C君に分類してみましょう。
このような3つの考え方、とらえ方に分けられるでしょう。
三者三様のとらえ方に対して、それぞれを支持する、次のような意見が出てくるでしょう。
学ぶ楽しさの原点は好奇心です。
乳幼児が目を輝かせて自分の周囲にあるものに手を出していく好奇心、
あれこそが学ぶ楽しさの第一歩です。
いつからか学ぶことが勉強に変わり、やらねばならないつまらないことのレッテルが貼られてしまうのでしょうか。
勉(つ)めて強(し)いるって、言葉も良くないですね。
人間本来、乳幼児と同様に知識を得たり技術を体得したりすること自体に達成感、
快感を得られるようにできています。
さらに、考えて答えを出すことには、高次の快感が得られます。
アハ体験や、クイズやパズルが解けたときのアレですね。
※アハ体験とは「わかったぞ」という体験を表す、
未知の物事を認識する瞬間を示す心理学に由来するドイツ語を起源とする言葉。
勉強は本来、この快感体験の連続のはずなのです。
改めて身に付けるものではなく、この乳幼児期からの好奇心を小学生になっても、
いや大学生、社会人になっても持ち続けて欲しいと考えています。
でも、こんな声が聞こえてきます。
「楽しいだけじゃ、受験は乗り切れませんよね」
はい、おっしゃる通りです。
ただ一方で、このたびの教育改革でも、学力の3層構造で主体性が最上位に置かれています。
主体性は探求心など自ら学ぶことを示しています。
自ら学べる子は、学ぶことの楽しさを知っている子です。
あながち理想論で終わる主張ではないとわたしは思っています。